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ニュースキャスターの筑紫哲也さん、肺がんで死去

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081107/biz0811071832014-n1.htm[ニュースキャスターで元新聞記者の筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日、肺がんのため、死去した。73歳。

 平成19年5月、メーンキャスターを務めるTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」の放送中に、自ら肺がんであることを告白。手術後の番組への復帰を約束し、闘病生活に入っていた。]


また、惜しい偉人が亡くなってしまって、非常に残念。。。
筑紫哲也氏の「多事争論」は、いつも「なるほど」と思わされることが多かった。

政治、戦争、国際問題、災害などなど、筑紫氏の多くのレポートが、同じニュースが伝えるものよりも、どこか説得力があったように感じていた。


その「違い」が何だったのか?


・・・とあらためて考えさせられる。
恐らく、筑紫氏のレポートは常に「人」が中心で、どんなニュースも「人」を軸として伝えられていたからなんでしょう。

ジャーナリズムの勉強をしたことがある人であれば、ニュースの基礎とでも言うべき「切り口」の「重要性」はわかると思う。

例えば、「大晦日、高層マンションに一人で暮らす、地元では有名な大地主の90歳の老人が、ストーブの火が引火して、火事で亡くなった」という事件が起こったとする。

こんな時、日常の報道(と言っても、これが普通なのかもしれないけど)だと、このニュースの「核」=「切り口」として、

・こんな悲惨な事件が「大晦日」に起きたということ
・被害者が「90歳」という「高齢の老人」がだったこと
・火災の原因が「ストーブの引火」だったこと
・この火災が高層マンションの火災であったこと
・被害者の老人が、大地主の大金持ちだったこと

等々のいずれかを「切り口」として考えるでしょう。

恐らく、雑多な大衆週刊誌だと
「90歳の大金持ちの暮らしぶりは、いかに?」
とかにフォーカスしてしまうんでしょうけど・・・

しかし、筑紫氏のレポートは、

「なぜ、こんな高齢者が、たった一人で暮らさなければならない社会になってしまっているのか?」

「このような高齢者に対して、政治は何もしていないではなか」

など、常に「被害者」=「人」をど真ん中においたレポートと、本質を突いた新たな「問いかけ」を発信していたように思える。


また、新聞記者からニュースキャスターに転身したジャーナリストは他にもいるけど、それを感じさせない人間味があった稀有な存在だったように思える。

私自身、カレッジでNewspaper Journalismを学び、UniversityでTV Journalismを第一専攻としていた経験から、同じジャーナリズムでもその文化や表現手法の違いの大きさを身をもって体験したことがある。

だからこそ、この違いを吸収してしまうだけの人間味を持って、ニュースをレポートする筑紫哲也という人の凄さには感服させられていた。

報道はテレビの「良心」であることが特に重要なこの時期に、貴重なジャーナリストが逝ってしまったことは、本当に残念!

一視聴者として、ご冥福をお祈りします。
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